入札会の変異と 京都美術倶楽部創立まで

美術品の入札が何時頃より始められたかは定かではないが、すでに江戸期の享保頃に行われていたことが資料より推察され、天明年間には唐物屋組という入札組合が存在したようである。

天保年間以降においては、唐物屋組の記録帳簿により、度々入札会が開催されていたことがわかる。

当時の入札会は料亭、貸席などに席を設けて釜を懸け、松籟を聴きつつ悠々として入札を行い、
時には夜を徹して行われたこともあったようである。

明治維新を迎えると、国情の混乱、人心の不安定から伝来の家宝什器への関心も薄れ、入札も一時閉鎖し、美術品の海外流出をも招くことになった。

しかし、世の中が安定してくるに従い、再び美術品への関心も高まるようになり、明治8年に新眞社、同10年には信友社等の同業者による組合が創設され、入札会が開催されるようになった。

このころの入札会場は、依然として料亭・貸席・寺院等であり、その入札会の大小に応じて会場を転々としていた。

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明治中期以降、経済の発展とともに美術品の市場も活況を呈し、古来より多くの美術品を包含する京都は、全国における入札事業の中心地となっていった。

これにともない、従来の料亭・貸席等の会場では不便を生じ、専用市場を設立しようとする機運が高まっていった。

明治41年、美術業者中の有力者数名が発起人となり、美術品の専用市場の建設と斯業の発展、同業者の地位向上を目指して、京都美術倶楽部を設立することになった。

会社概要

社名 株式会社京都美術倶楽部
設立 明治41年(1908年)
代表 代表取締役 土橋 章一
所在地 京都市東山区新門前通東大路西入梅本町263
TEL 075-551-1146
FAX 075-541-5580